太極拳の真の歴史のまえがき紹介

最初に

 民衆の心と強力な武の能力が結びつき、自分たちを苦しめる支配者を倒すということは、世界中で多く起こってきた歴史です。
 そのようなことが起こらないように、多くの支配者は、民衆が崇める伝統的な歴史を葬り、自分たちに都合の良い新たな歴史を作って、信じ込ませることに躍起になっていたのは、中国だけとは限りません。
 特に、中国では、道教と武の結びつきは、古代から頻繁に起こる、徳のない王朝を亡ぼす「易姓革命」と呼ばれる反乱や、1912年には、最後の中国王朝である「清」を亡ぼすほどの民衆蜂起を呼びました。
 中国民の古代信仰から引き継がれている道教の一派によって集大成された、太極拳の歴史をひもといてみると、中国の人々がいかにこの太極拳に心を委ねていたか、また、支配者はその関係をもっとも恐れていたということがよく分かります。
 近代になって、その傾向はより高まり、徹底的な近代手法と圧倒的な武力によって、その恐れが制圧されたことは記憶に新しく、今は完全に制圧管理されています。しかし、これは今に始まったことではありません。
 本書では、古代に遡って、中国人たちが自らの生命を守るために「護身」と「養生」のために身につけていった「太極拳」が、詳細な中国史と共に、どのように史実に関わってきたかを綿密に記載していきます。
 真の太極拳が、なぜ支配者にそれほど恐れられるようになったのかを、その全容を詳細に示すことで展開していき、それを本書の中心に据えます。
 この太極拳の全容が見えれば、なぜ、歴史を作り替える必要があったのかが、最後に明らかになります。
 自分たちに都合の悪いことは葬り去り、事実を都合良く解釈して脚色していくのは、歴史というものの宿命です。しかし、その歴史を真実に基づき残していく者も存在し、本書でその内容を明かします。
 中国だけに限らず、多くの歴史はその時の権力者の都合によって書き残されます。
 特に中国においては、人々は徳の無い者が権力を持つことを認めず、民間に広がった破邪の拳が当時の王朝を倒し、また征服者に対抗していましたから、これらの者が崇める、または信じる者に対しては、徳を失った王朝が徹底的に容赦なき破却を行ってきました。このようなことは、権力を持つ者の当然の行いであったことも歴史を見れば明らかです。
 太極拳の発祥の地、中国の武当山は、幸いなことに険しい山並みと、隠れて修行するところが多くありました。また、周辺は中国の要となる要所で、そこに集まる多くの人々から、世の中の情勢を正確に掴んでおり、的確に時の権力者に対して対応できたため、近代まで綿々と伝承が行われました。
 太極拳を整理編成した張三丰は、日本では神道に相当するような宗教である「道教」において、自分たちの身を守る武と、健康を守る養生において信者を獲得していた、「全真教」に属していました。そして、特に「武」を強化した道教内ネットワークである、武当道派を創設した人物です。
 古代からの権力者にとって、武当道派は自分たちが管理している以外の「武」を扱い、その上、中国人の誰もが信奉する「玄武大帝」を始祖とする集団であり、その扱いに対して重要な課題となりました。
 そのため、いつの時代も、武当道派は徹底して監視されており、武当道派では「武」に関する蔵書は秘蔵とされていました。
 私はその秘蔵の全てを目にすることが出来、また、その内容を、その所有者から日本語で師事したことは、私の類い希な環境にあった特別なことでした。
 本書を書き進める最後に、このことには触れますが、まずは、その武当道派が記録方法として採用していた考証学によって、秘蔵に書き残されてきた歴史的な事柄を、古代から遡って中国の歴史ともリンクし、ここに正確に書き進めたいと思います。
 私も学んだ考証学は、大変多くの歴史的な文献から、真実をあぶり出していく技術です。
 本書は、それらの文献を参照しながら再検証していますが、当時の周辺の状況や、多くの人の思惑や利害が複雑に絡み合う中で、その文献に書かれた内容が、必ずしも真実や事実であるとは限りません。
 しかし、医武同源という純粋な事柄だけを追い求めて、古代からひたすら多くの事を記録してきた、武当道派の記録には、当時の周辺の状況や、多くの人の思惑や利害は一切関係ありません。
 多くの人に折角信じさせた歴史を、くつがえすような歴史がひろまることを、都合が悪いと思う人々がまだまだ中国には多く存在することも事実です。
 また、誤った歴史を大がかりなプロパガンダで信じてしまった人にとっても、なかなか受け入れがたいものかも知れません。
 しかし、ここに書き残していく歴史は、本書を読み終えていただければその価値がはっきりするはずです。
 この歴史を書き残した武当道派は、近代には完全に葬り去られ、もうどこにも存在しません。
 しかし、この歴史により、真の太極拳がどのようなものであるかも明らかになれば、中国の人々が求めていたもの、いえ、全ての人が求めていたものが見えてくるはずです。
 そして、人々が求めるものが、支配者の立場を危うくするようになれば、その求めるものに対して容赦なき迫害を加えていくのは、現在の私たちの世界を見ればよく分かります。
 中国史と太極拳の深い関係が、そのようになっていく原因をあぶり出してくれることと信じて、武当道派の幹部であった、私の太極拳の師である王師に代わって、本書を世に出すことにしました。

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